大久保 八太 TOPへ
大久保八太議員を知る人は、彼を「はっちゃん」と呼ぶ。これまで8期32年、市民とともに歩いてきた。相手が大企業であっても一歩も引かず、市民の願いをつらぬいてきた彼。はっちゃんに熱い期待が寄せられている。
わんぱくもののはっちゃんが村中の評判に
 はっちゃんは挾間町で五人兄弟の末っ子として生まれた。みんなから可愛がられ、愛情をいっぱい受けて育つ。
 小学校4年の時、授業の始まったのも気がつかずに野球に熱中し、先生から「お前が代表で教室に立っておけ」と一日中立たされた。おじさんから買ってもらったばかりのグローブを取り上げられ、さすがのワンパク大将も1週間苦しんだ。
 隣の席の子供が毎日梅干し弁当なのを見かねて、自分のおかずや、友達のおかずも貰って分け与えた。また、重い米の袋を担いだお年寄りを見かねて、自転車で届けてやったことも。
 ただのワンパクでない、はっちゃんのやさしさと正義感の原点がここにある。
挾間中学1年のころ
万能スポーツマンとして多くの仲間と
 卓球の群体会個人戦で2回優勝。柔道は初段、野球はピッチャーで4番。
 舞鶴高校時代は2年生と署名を持って、校長に卓球部をつくるように陳情。この頃から政治家の素質が垣間見えるようだ。
 スポーツを通じて、人間関係や、チーム作りの大切さと、そのむずかしさを学ぶ。目標に向かって努力する姿勢は、スポーツの中で身につけたのかもしれない。
 今でも登山、バードウォッチング、野球など、スポーツは欠かさない。
国鉄大分駅に入社した頃
日本共産党との出会いが人生をかえた
 高校卒業後に当時の国鉄に入社。日米安保条約反対闘争たけなわの時、働くものの生活と権利を守るたたかいの中で日本共産党と出会う。22歳の誕生日に入党。
 大分市東大分に居を構え、34歳の時市議選に立候補し初当選。依頼8期連続当選。
 新日鉄前での木曜朝の街頭演説も21年目になる。議会報告、くらしのことなどをマイクで訴え続ける。
3期目の応援にきた橋本敦参議と
はっちゃんのたたかいはいつも住民とともに
 昭和52年、滝尾・桃園両地区で市立幼稚園に入れない父母120人と一緒に市長に直談判。その熱意が通じ全幼児が入園できた。これははっちゃんにとって生涯忘れられない運動となった。
 2004年12月議会は圧巻だった。住民から託されたばいじんの入っている容器と煙の出ている写真をかざし、「ばいじんをなくせ、背後地の実態調査を!」と追求。会社も最近になって新たに80億円かけ、ばいじん対策の設備計画を明らかにした。ついに新日鉄は「企業責任」を認めたのだ。
 現在、党市議団長。県常任委員。中部地区委員会副委員長。
 はっちゃんのたたかいは、住民とともに、これからもつづく。
TOPへ